ラサ
<ラサ>(拉薩)チベット語で「神の地」を意味するという。標高3650メートル。チベットを東から西へ流れる大河・ヤルツァンボ河の支流であるキチュ川の北岸にある。チベット自治区の政治経済の中心であると同時に、チベット仏教という祈りの中心でもある。 観音菩薩の化身であるダライ・ラマの居住の地であったポタラ宮、巡礼の姿が絶えることない大昭寺。そのほか、ガンデン寺、デプン寺、セラ寺など、まさに「神の地」と呼ぶにふさわしい厳粛な祈りに満ちた街である。 ラサは、同時に、「太陽の都」とも呼ばれる。標高3658メートル。強い日差しが照りつける。街をゆくチベット人の頬は紫色に焼けている。見上げる空はどこまでもコバルトブルー。そういう意味でも別天地である。 成都から航空便で入るのが一般的であるが、普通の日本人は多かれ少なかれ、高山反応があるはずである。健康管理には十分な配慮が必要である。 アトラクションポタラ宮 ラサの町の西の端に位置するマルポ・リ(紅い丘)にある宮殿式建築群。チベット族の古建築の精華と言っていいだろう。「ポタラ」とは、「観音菩薩が住まう地」の意だという。観音菩薩とは、その化身とされるダライ・ラマを意味している。十三階建て、主楼の高さは117メートル。総面積は十三万平方メートル。 白宮と紅宮に分かれる。ダライ・ラマは宗教と政治双方の最高権力者であったわけだが、政治部門は白宮で、宗教部門は紅宮で執り行っていた。白宮は建物の下層と両側に広がり、紅宮は、白宮に支えられるように、中央部分の八階以上の高層を占めている。 白宮は1645年、ダライ・ラマ五世によって着工。完成後にダライ・ラマはデプン寺から移り住み、それ以来ずっと、ポタラ宮はチベットの宗教と政治の中心であり続けた。紅宮の完成は1699年。摂政サンゲギャンツォの時代である。 観光は白宮から始まる。白宮七階はダライ・ラマの住居で、現在インドに亡命中のダライ・ラマ十四世の居住していた部屋もある。紅宮には歴代のダライ・ラマのミイラを納めた霊廟が置かれている。なかでも目をひくのは五世の霊廟。霊塔の高さは十四メートル。3700キログラムの黄金と一万五千個の宝石が使われている。名高い「カーラチャクラ(時輪)立体曼荼羅」があるのは紅宮の三階.ジョカン(大昭寺、だいしょうじ) 聖地ラサのそのまた中心にある。チベット仏教で最も聖なる寺院である。チベット全土から、あるいはチベット以外の地、四川や青海、内蒙古からラサを目指す何千何万の巡礼は、ここジョカンに向かって集まってくる。寺院の前では、多くの巡礼が五体投地を繰り返している。辺りは、灯明に使われるヤクの乳で作るバターのが燃える動物質の匂いに包まれている。最も聖なる寺院であり、同時に、最もチベットらしい雰囲気が漂う場所でもある。 創建は7世紀中葉、ソンツェン・ガンポ王はネパールよりティツゥン妃を、唐より文成公主を妻に迎えた。それぞれの妃がインド仏教と中国仏教をチベットにもたらしたが、ジョカンはティツゥン妃によって建立された。そのため寺の門はネパールの方向、すなわち西を向いている.セラ寺(色拉寺) ラサの北五キロの山麓にある。このセラ寺、デプン寺、ガンデン寺をゲルク派三大寺院と呼ぶ。その中で、最もラサ市内に近いのがセラ寺である。 創建は1419年。ツォンカパの高弟であるシャキャイェーシェー(1352〜1435)による。ツォンカパからの信任が厚く、ツォンカパが明の永楽帝に招かれたとき、名代に派遣されたのがシャキャイェーシェーであった。その後、1434年にシャキャイェーシェーは明朝から大慈法王に封ぜられている。 デブン寺とならぶゲルク派の学問寺であり、多くの高僧を輩出してきた。四つあった学堂のうちガクパ堂、チェーパ学堂、メーパ学堂の三つが残っている。チェーパ学堂、メーパ学堂では仏教基礎、顕教が講じられガクパ学堂ではその上のコースとしての密教が講じられている。ガンデン寺(甘丹寺) ラサの東40キロ。キチュ河の南岸に当たる。セラ寺、デプン寺、ガンデン寺のゲルク派三大寺院のなかでも、唯一ツォンカパ自身によって建てられた寺である。ゲルク派最初の寺でもある。創建は明の永楽7年(1409)。デプン寺(哲蚌寺) ラサ市の市街から西北に5キロ、山の斜面にある。セラ寺、デプン寺、ガンデン寺のゲルク派三大寺院のなかでも最大の規模を誇っていた。多いときには七千名を超える僧侶が修行をしていたという。 創建は明の永楽14年(1416)。ゲルク派の創始者・ツォンカパの高弟ジャヤン・チェジュによって建てられた。 1518年、ダライ・ラマ二世の時代、ゲルク派の有力な施主であったミワンタシタクパによってガンデン・ポタラ(ガンデン宮殿)が献じられた以降は、そこが歴代ダライ・ラマの居城となった。これは、十七世紀、ダライ・ラマの宗教・政治両面における絶対的権威が確立しダライ・ラマ五世がポタラ宮へ居を移すまで続く。パルコン(八角街、はっかくがい) ジョカン(大昭寺)の本殿のなかがひとつの巡礼路になっている。巡礼たちは、本殿のなかを右回りに右回りに巡礼を繰り返す。パルコンは、これに対して、ジョカンの外を一回りする巡礼路である(もうひとつ大きな、市街を一周する巡礼の路もありリンゴルと呼ばれる)。 人々は手にマニ車をまわしながら、口に「オムマニベメフム、オムマニベメフム」と唱えながらパルコンを巡礼する。なかには、五体投地で廻っている人もいる。 同時に、パルコンは門前町として仏像、仏画、お香、灯明用のバター、民族服、ナイフなどを所狭しと並べた露天の店が順路に沿って連なっている。 ノルプリソカ ラサ市街の西の郊外にある。チベット語で「宝珠の林園」の意。1740年代、ダライ・ラマ7世(1708〜57)のときに造営し、のちに歴代のダライ・ラマの夏の宮殿となり、以降、チベット歴の4-9月はここで政務を執り、式典を行ってきた。 総面積36万平方メートル。灌木が生い茂る美しい庭園に幾つかの棟が点在している。そのうち、タクトゥミンギュル宮はダライ・ラマ十四世が住んでいた建物。謁見室、私室、瞑想室などがあり興味深い。 1959年、ダライ・ラマ十四世がインドへ亡命をするのも、ここノルブリンカから脱出をしてであった. 他の観光地 |