阿里(ガリ)地区
阿里(ガリ)地区 阿里(ガリ)地区はチベット人の省級の民族区域自治単位である西蔵自治区を構成する地区(サクル)のひとつ。自治区の西部を占める。平均海抜4500m。政治経済上の中心都市は、獅泉河。古くは、シャンシュン王国、グゲ王国があり、西部チベットの中心であった。 南はインドのヒマーチャル?プラデーシュ州、シガツェ地区、東はナチュ地区、北は新疆ウイグル自治区、西はインド、パキスタン間で係争中のカシミール地方と接する。 トゥリン・ゴンパ 創建は十一世紀初め。インドで仏教を学び、帰国してサンスクリット経典のチベット語への翻訳に一生を捧げたリンチェン・サンポによって建てられた。 その後、インドより招かれたマガタ国のヴィクラマシーラ僧院の大学僧アティーシャの加持を受け一躍チベット中に名を知られるようになった。 アティーシャは、堕落していた当時のチベット仏教界に、はじめて仏教改革の波をもたらし、チベット仏教界に独身主義と高い道徳性を確立し、その後のツォン・カパ(一三五八〜一四一七年)の論争と哲学を重視する改革の流れを造ることになった。 寺の造りや仏像は、カシミール、ラダック、ネパールの風格をもっている。 グゲ遺跡 チベット初の仏教僧院であるサムイェ寺を建設し、779年には仏教を国教にしたのがティソン・デツェン王。その息子がレルパチェン王。彼も熱心な仏教擁護者であった。仏教興隆の一方で、土着の宗教の信仰者の不満も高まっていった。その代表が、レルパチェンの兄であったランダルマ。レルパチェンを暗殺して王位に就くと仏教を弾圧した。そのランダルマ王も、仏教僧に暗殺されてしまう。 こうしてチベットは群雄割拠の時代を迎えるが、ランダルマ王の息子の一人、ウー・スンがこの地に建てた国がグゲ国であった。 当時、グゲ王国には二つの中心があった。一つは、現在、ツァンダと呼ばれているトゥリンと、もう一つは現在「グゲ遺跡」と呼ばれるツァパラン。ツァパランは、十六世紀にラダックの攻撃を受け、廃墟と化した。 山全体が一つの城塞のような造りになっており、山頂にある王宮の跡の近くには、経堂と曼荼羅堂の遺構が残る。 また、山の中腹には、外壁が赤く塗られた紅廟と白く塗られた白廟の二つの建物があり、白廟の内部には金剛界曼荼羅が描かれている。 他の観光地 |