山南地区
山南地区 山南地区:中国語名シャンナンティチュ(山南地区 は、中華人民共和国の省級の民族区域自治単位である西蔵自治区を構成する七つの地区(サクル)のひとつ。「山南」はチベット名の「ロカ」を意訳した名称。日本語では、チベット名に由来するロカ地区、ホカ地区、中国名に由来する山南地区(さんなん-ちく)などの呼称が用いられている。 自治区の中央部に位置し、チベットの伝統的な地理区分では、この地区の北部に隣接するラサ市を構成する諸ゾン(県)とともにウー地方を構成し、その住人を「ウーパ(dbus pa)」と称する。 面積8万平方キロ、人口は約29万人。青蔵高原東南部、ヤルンツァンポ河中下流に位置し、西はシガツェ地区、北はラサ市、東北はニャンティ地区と接し、南はインド、ブータンと国境を接する。本地区のツォナ・ゾン(錯那県)、ルンツェ・ゾン(隆子県)の南部は、ニャンティ地区のメトク・ゾン(墨脱県)、ザユル・ゾン(察隅圏)とともにインドとの国境紛争地域となっており、名目上これらの諸ゾンの南部とされる領域で、インドが実効支配するマクマホン・ライン以南の部分に対し、インド政府はアルナーチャル・プラデーシュ州を設けている。 海抜3,700メートル、気候は温和。 <ツェダン>(沢当) ラサから東南へ190キロ。ロカ(山南地区)の中心である。ロカとはラサの南、ヤルツァンポ河からブータンの国境辺りまでを指す。古代チベット人発祥の地とされるヤールン渓谷にある。 海抜は3500メートル。 <サムイェ寺>(桑耶寺) 779年創建のチベット最古の僧院と言われる。同時に、チベット仏教のあり方を決定的なものにした所謂「サムイェ宗論」の行われた場所でもある。 仏教を国教にしたのはティソンデツェン王。八世紀のこと。そのティソンデツェン王が建てたのがサムイェ寺。寺としてはラサのジョカンやラモチェの方が古いが、僧が修行をする僧院としては、サムイェ寺が最初であった。 建立の際、顕教の学僧シャーンタラクシタと密教の成就者、インド僧のパドマサンバヴァを招聘して、ボン教の呪いを祓う儀式を行ったと言われる。ボン教とは、仏教が伝来する以前からあったチベットの民間宗教である。この一事よりも、当時の両者の対立の厳しさを知ることができる。 <ユムブ・ラガン> ツェダンから南へ12キロ。小高い丘に、チベットで最も古いと伝えられる建物を復元したもの。伝説では、初代のチベット王であるニェティ・ツェンポが天から降りてきて城を造った、その場所がここである。 現在ある建物は、1982年に建てられたもの。すべて石造りで、前部は多層の建物、後部は楼台が設けてある。楼台からはヤールン河の流れが一望できる。建物の中には、ソンツェンカンポや文成公主、ティツゥン妃の像を納めてある <タントク寺>(昌珠寺) ツェダンから南へ5キロ。「チベット年代記」によると、仏教が入る前のチベットには巨大な人の肉を食う凶暴な悪鬼が住んでいた。ソンツェンカンポは王はこの悪鬼を鎮めるために悪鬼の身体の上に幾つかの寺院を建立した。その一つがタントク寺であるという。 創建は7世紀、文成公主が唐からチベットへ輿入れした当初起居したと伝える。 寺の最上階に真珠で作られたタンカ(仏画)が飾られている。ダライ・ラマ五世が母親の供養のために作ったという。使われているのは淡水真珠でその数は三万個。 <吐蕃歴代王墓>(とばんれきだいおうぼ) ソンツェン・カンポなどチベット歴代の王の古墳群。ツェダンから南へ28キロにあるチョンギェ県。ソンツェン・カンポが七世紀に都をラサへ移すまではここが吐蕃の首都であった。 周囲三キロの範囲に九つの墓陵が点在している。まだ、発掘は行われていない。墓はだいたい同じ形をしており、頂部は方形であるが、長年にわたる風化により円形に削られてしまっている。並び方に法則性はなく、大きさも一様ではない。高さは、大きいもので、数十メートルに達する。 他の観光地
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