宜昌
宜昌は西陵峡の東にあり、三峡下りが湖北省の境内に入る第一の都市です。人口が400万で、総面積が2.16万平方キロメートルです。 長江の三峡を上流から言うと、瞿塘峡、巫峡、西陵峡。その最後の西陵峡を出たところにある町が宜昌である。長江の上流域と中流域の接点にあり、古くから水運、軍事の要衝として知られてきた。 古く宜昌は夷陵と言われた。三国時代、劉備玄徳が関羽の仇を討つため呉を攻め、却って大敗を喫し白帝城に逃れる。その戦役は「夷陵の戦い」と呼ばれるが、その「夷陵」が今の宜昌である。現在は、新三峡ダムの町として知られる。 宜昌の朝は霧の中から明けてくる。霧に霞んで流れる長江は優しい。 長江は重慶、万県、奉節と下りながら次第に幾多の流れを集め、やがて怒濤の水量をもって一気に三峡へとなだれ込む。峡谷を抜け、岩を噛み、荒れ狂うように駆け下ってきた流れが、ようやく山岳地帯を過ぎ、ホッと一休みするところ、そこが宜昌である。 宜昌は山と平野の境です。重慶のような荒々しい流れではない。武漢の茫々たる趣もない。ここでは、肩の力を抜き憩うように流れる。町も、重慶や武漢のような大都会ではない。河に寄り添い、ひっそりと息づいている。河の姿と町の姿、不思議なほど、似合っている。 昔より大型船舶もここまでは遡航が可能であった。湖北から大きな船で運ばれてきた物資は、ここで小舟に積み分けられ四川へ上った。逆もしかり。その地理的特徴ゆえに、さまざまな歴史を背負ってきた。古来より兵家必争の地であった。日本軍の重慶爆撃の基地にもなった。そして、今は、近くに三峡ダム建設が進む。完成すれば、水位が上がり、上流の景観は一変するという。 他の観光地 |